私の教え子たちに輪姦された妻

画像はイメージです
私は32歳男性、中学校で教師をしています。



中学、高校、大学とバスケットボールを続けてきたので、社会人になってもバスケに関わっていたかったので、中学校の社会科教師となり、バスケットボール部の顧問をしています。



3歳と1歳の子どもと30歳の妻との4人暮らし。

妻とは高校時代、選手とマネージャーとして知り合い、8年間の恋愛の末に結婚しました。

高校を卒業してすぐエステシャンの道に進んだ妻は、仕事がら美容にはいつも気を付けており、子どもを2人産んでも綺麗なスタイルを維持する、私の自慢です。



その妻があんな目にあうなんて。



中学校には必ず生活指導部長がいて、その下に生活指導担当が割り当てられ、私達中堅の運動部系の教師はそうした生活指導を担当させられます。



私は若い頃からそうしてきたので、あまり苦にはしていなかったのですが、その年担当していた学年には特別な生徒がいました。



マモルと呼ばれる生徒に率いられた4人組で、授業妨害、喧嘩、万引、喫煙、飲酒など、不良行為のオンパレードで、見た目も髪を金髪にした異様な一団でした。



特に手を焼いたのが授業妨害で、授業中に廊下でサッカーに興じ、わざとガラス窓に蹴り込み、割れたガラスで他の生徒がケガをするという事態になりました。

当時異動したばかりで新任だった私は、生活指導担当学年だったため、初めて私はマモルの家に家庭訪問に出かけました。

会って驚いたのですが母子家庭であるマモルの母親は全く普通の人なんです。その日もただ泣きながら平謝りで、ケガをした生徒さんにもお詫びに伺いたいとそうおっしゃっていました。

マモル本人も母親の前では借りてきた猫のようで、大人しくうつむいており、反省した様子でしたので、私としては安心してマモルの家を後にしました。



何事もなく数日がすぎた夕方でした、職員会議も終盤を迎えた頃、バイブしたスマホに目を向けると、妻からメールが届いたようでした。

会議中だったので後で見ようと、ポケットにスマホを戻すと、1分おき位に妻からメールが繰り返し送られてくるのです。

不審に思った私がメールを開いてみると、そこには驚くべき写真が添付されていました。



場所は妻が経営するエステサロンのようでした。

「いただきます」と題された1通目にはマモル達4人に抱きかかられもがく妻の写真。

「おっぱい」と題された2通目には、白衣の前を開かれ、ブラジャーを押し上げられた妻の乳房に、マモルが舌を這わしていました。

「キス」と題された3通目では上半身裸にされた妻の唇に吸い付くマモル。

「破る」と題された4通目には、白衣を脱がされた妻のパンストを引き裂くマモルの姿。

「パンティ」と題された5通目には、大写しになった妻の股間に鼻をうずめ、パンティ越しに妻の秘部を辱しめるマモル。

「いよいよ1人目」と題された6通目には、他の3人に押さえつけられた全裸の妻にまたがり、勃起したものを画面に向け見せつけるマモル。



「先生の嫁さん最高」と題された7通目には動画が添付されていました。

マナーモードだったので音は聞こえませんでしたが、全裸の妻に圧し掛かったマモルが妻の上で腰を振っていました。

私は急速に頭に血が上り、叫びだしそうになりました。



「ちょっと、急用ができまして。

妻が事故にあったようなんです。失礼します。」



私は叫ぶようにそう言うと、呆然とする同僚たちを置いて教室を飛び出しました。

私は駐車場に向かって走りながら、警察に電話するかどうか迷っていました。

これからすぐ駆け付けたとしても、妻のエステサロンまでは1時間かかります。



その時8通目のメールが届きました。

「中出し」と題されたメールには、妻の膣から流れ出す男の精液が写っていました。


そして次の瞬間、呆然とする私のスマホに妻のスマホからの着信が。



「もしもし」



「先生、メール見てくれた」



「お前ら許さんぞ。」



「先生が母さんにチクった復讐だよ。」



「こんなことをして、ただで済むと思っているのか。」



「警察に通報したら、今の写真拡散しちゃうからね。

生レイプ写真ならマニアが喜ぶよ。」



マモルはあざ笑うように、私が恐れることを言い当てました。



こんな写真が出回れば、妻と私はどうなってしまうのだろう。



そう思う心が、私に沈黙を余儀なくさせました。



「先生。奥さんの声聞かしてあげようか。奥さんご主人だよ。」



「あなた、助けて。あっああ、嫌、もうやめて。そんな、ああ。」



「奥さん、感じてるの。もう3人目だもんね。」



「そんなこと言わないで。ああ、ダメ。あなた助けてよ。あああああ。」



「おい、そろそろイクぞ、おお、おお、おおおおお。」



「駄目、中は止めてって言ってるでしょう。嫌やややや。」



「先生、早く来なよ。奥さん待ってるよ。」



その言葉を残して、通話は切れました。



車で妻のエステサロンへと向かう1時間。

それは一生の中で最も長い1時間でした。

その間も次から次へとメールは送られた来ました。

信号待ちの間に一度だけ見ましたが、どれも酷いものでした。



マモル達4人は、1人1回づつ妻を犯した後も、妻を繰り返し犯し、膣だけでなく口や肛門まで、妻の穴という穴に肉棒を差し込み、精液を注ぎ込んだようでした。



私は妻のエステサロンに到着すると、駐車場に車を入れるのももどかしく、路上に横付けして、サロンの中に飛び込みました。

そこにはもうマモル達の姿はなく、エステの施術用のベットの上には、全身精液だらけにされた妻が、全裸で横たわっていました。



それからのことは、私もあまり覚えていません。

病院には行きたくないという妻を自宅に連れて帰り。

保育園に平謝りで子供たちを迎えに行きました。



マモル達に散々なぶられた妻は寝込み家から出ることが出来なくなりました。

幸い妻が事故にあったと言っていたので、私も自然に3日ほど休むことができ、その間妻と子どものそばにいました。



妻のショック状態は長く続きましたが、幼い子どもがいたことが幸いしたのでしょうか、やがて時間をかけながら妻は何とか立ち直ることができました。



こんなことをしでかしたマモル達は、その後は沈黙を守り、卒業とともに町から出て行きました。

私も教師を続けていく自信を失いつつありますが、妻と子どものために、今も何とか続けています。

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