随分昔の体験です。
現在40歳を過ぎた僕がまだ大学生だったので、もう20年近く前になります。
平凡ですが、人並に幸せだった家族が、突然破壊されてしまいました。
そのことを書きます。
当時私達家族は、九州のある都市で生活していました。
会社員である父と専業主婦の母。
大学4年生の僕と、そして高校2年生の妹。
そんな普通の4人家族でした。
ともに九州出身の両親は、大学の同級生で、同じ水泳部に所属していたそうです。
大学在学中に恋に落ちた2人は、卒業とほぼ同時に結婚し、そして僕が生まれたそうです。
「お前が生まれた頃は、本当に貧乏でね」
それが母の口癖でした。
結婚当初は新入社員だった父は、その後順調に会社勤めを続け、その頃には営業部の部長になっていました。
正直あまり興味もなかったので、実際父がどの程度の地位にあったのかは知りませんが、少なくとも母が専業主婦でいても、それなりの生活を維持できる程度の収入は得ていたのは間違いありません。
水泳部が関係あるのか分かりませんが、母は当時の女性としては割と大柄で身長が160センチ以上あり、手足の長いすらっとした美人でした。
ある理由から、僕が中学位の頃は、同級生からよく母親のことをからかわれました。
実は母は美人なだけでなく、胸の大きな女性でした。
「お前の母ちゃん、エロイよな。」
性に目覚め始めたバカな同級生たちに、そんなことを言われ、非常に複雑な心境になったことをよく覚えています。
そして妹もまた、性格は母より社交的でしたが、見た目は母そっくりでした。
セーラー服に身を包み、ロングヘアを揺らして歩く妹は、明るい性格もあって、兄として心配になるくらいクラスの人気者でした。
当時もサッカー部に所属する彼氏がおり、よくデートに出掛けていました。
そんな平凡な4人家族の崩壊は、父のある善意から始まりました。
ある夜、父は駅から自宅へと歩いて帰る路上で、ひき逃げ事件の目撃者となりました。
飲酒運転の若い女性が信号無視して交差点に侵入し、横断歩道を歩いていた老婆をはねて、そのまま逃走したのを、老婆の後ろを歩いていた父が目撃したのだそうです。
真面目な父は警察と消防に通報しましたが、被害者の老婆は即死で、救うことができなかったそうです。
但し、父がナンバープレートと車種を覚えていたため、犯人はすぐに見つかりました。
飲酒運転で死亡事故を起こしたうえ、逃走したということで、犯人の若い女性は実刑判決を受け、交通刑務所に行になりました。
そう、ただそれだけのはずだったのですが、それだけでは済みませんでした。
女の裁判が終わった頃からだと思うのですが、我が家に対する執拗な嫌がらせが始まったのです。
最初は無言電話位でしたが、嫌がらせは次第にエスカレートし始め、大量の出前が運ばれてきたり、スプレー塗料で落書きをされたりと、次第にエスカレートしていきました。
そしてある朝、新聞を取りに玄関にでた母が大きな悲鳴をあげました。
驚いて家族が飛び出すと、そこには撲殺された愛犬の死体が転がっていたのです。
さすがのことに父が警察に通報すると、刑事がやってきて私たちに驚くべきことを告げました。
「実は、先日の事故の加害者の若い女は、暴力団である●●会の組長の娘だったんです。」
私達家族は戦慄しました。
そう言えば父が目撃者として出廷した裁判は、傍聴席の様子が変でした。
妙に怖い感じの傍聴人が数多く見受けられました。
娘を刑務所に送られ、逆恨みしているかもしれない。
刑事はさも同情したというようにそう言いました。
「そいつ等を捕まえられないんですか。私たちは大丈夫ですか。」
青くなりそう言う父に、とにかくしっかりパトロールはするように所轄に言うからと、刑事はそう言って帰ってしまいました。
それから数日後、母が失踪しました。
父は会社、私と妹は学校に出掛け、母が独りでいたであろう自宅から、母は忽然と居なくなってしましました。
翌日には父が失踪届を出し、そして例の刑事にも電話をしていましたが、1週間たっても2週間たっても母の手掛かりは見つかりませんでした。
そして、その間も無言電話やゴミの投げ込みといった嫌がらせは続いていました。
僕ら家族はヤクザに目を付けられているかもしれない自宅から逃げ出そうかと相談していましたが、母が帰ってくるかもしれないと思うと、決心がつきませんでした。
そんなある日、明確な悲劇が起こりました。
高校からの帰り道、妹が5人組の男にワゴン車で拉致され、車内で輪姦されてしまったのです。
数時間にわたって男たちの慰み者にされた妹は、全身に男たちの体液を浴びせられ、全裸で自宅の玄関前に放置されていました。
事件が起こった当初は、僕は妹に何が起こったのか知りませんでした。
妹を発見した父は、僕には何も言わず妹を病院に連れて行き、そのまま妹は入院してしまいました。
僕はもっと無残な方法でその事実を知らされたのです。
父が病院に行っている時に、我が家に差出人不明の小包が届きました。
そこには2本のビデオテープが入っていました。
胸騒ぎを覚えた私が再生してみると、それは驚くべき内容でした。
1本は妹の輪姦動画でした。
号泣するセーラー服姿の妹に、5人のやくざ者が襲い掛かり、セーラー服やタイツを引き裂くと、ブラジャーやショーツもはぎ取り、妹は全裸にされました。
男たちは妹をシートに押し倒すと、その若い肉体をもてあそびながら、次々に輪姦していました。
男たちはクスリでも使っているのでしょうか、全員が妹に中出ししたのですが、男たちはみるみる回復すると、輪姦されたショックで呆然とする妹の顔に5本の隆起したモノを押し付け、その白い肌や長い髪に次々と射精し、妹の顔面をビショビショに汚していました。
それを繰り返すうち、妹の全身は男たちの体液でまみれてしまいました。
ビデオは、幽霊のように青ざめた妹が、全裸で車から放り出されるところまで続いていました。
そして、もう1本は、更に驚くべきものでした。
そこには、怒りに満ちた目をした年配のヤクザに、執拗に犯される母が映っていました。
「お前の亭主が悪いのだ。お前の亭主のせいで、俺の娘がひどい目にあっている。
年寄りの1人や2人死んだって、娘の幸せに比べればどうということはない。
だから、娘が帰ってくるまでお前は俺を慰め続けるんだ。」
その老人は、ある意味狂っているようにさえ見えました。
細かく編集されているビデオの中で、どこかに監禁されているであろう母は、幾日にもわたり繰り返し老人に犯され続けていました。
1週間ほど経過したころからでしょうか、犯される母の態度が明らかに変わり始めました。
最初は涙を流し父の名を繰り返しながら、許しを請うていた母が、老人のモノに身体を貫かれながら、明らかな嬌声をあげ始めたのです。
「アッアッアッ、イク、イク、アアア」
母の長い脚が老人の胴巻き付き、母の膣がどん欲に老人のものに吸い付いているように、そんな風に見えました。
毎日老人に犯されるうちに、女盛りの母は、老人のモノを受け入れてしまったようでした。
ビデオの中で乱れる母の姿を呆然と眺めていた私は、いつの間にか父が帰宅したことに気が付きませんでした。
私が気が付いた時には、ビデオを見ながら父は泣いていました。
そして父は、黙ったままビデオテープをデッキから取り出すと、それを持ってまた出て行きました。
それが私が見た父の最後の姿です。
父もまた姿を消してしまいました。
父の失踪後、数々の嫌がらせは無くなりました。
退院した妹は、故郷を出て関西に行きました。
現在は結婚し、それなりに幸せにしているようです。
私はまだ実家で生活しています。
大学は辞めざるを得なかったですが、私の境遇に同情した父の友人が私を雇ってくれたおかげで、現在はそれなりに平穏に生きています。
両親はどうしているのかと、今でもよくそう思います。
あの日、父はヤクザのところに出掛けたのか。
そして、母を奪い返すことが出来たのか。
できればそうであって欲しい。心からそう思います。