課長の愛人にされたという叔母の昔話

画像はイメージです
これは昨年70歳を越えた親父から聞いた話。



とはいえ、これから書く話は私の両親の体験ではない。



親父には4歳年下の弟、つまり俺から見れば叔父がいる。



その叔父夫婦の体験。



法事ついでに兄弟だけで宴会をした際に、酔った叔父が告白。



そのあまりの内容に、その後兄弟間で封印した話だそうだ。



1980年、モスクワオリンピックを日本がボイコットした年、叔父は中堅の商社にサラリーマンとして勤めていた。



叔父は2年前の1978年26歳の時に、短大を卒業したての5歳年下の叔母と結婚、そして叔母は翌年に長男を出産した。



可愛らしい妻と長男に恵まれ、叔父は順調な結婚生活を過ごしていた。



そんな叔父をトラブルが襲った。



叔父が仕事で発注ミスを犯し、不必要な在庫を大量に抱えることになってしまったそうだ。



このままでは責任を取らされるという状況になった時、叔父に助け舟を出してくれたのが当時50代の課長だったそうだ。



倉庫にうず高く積まれた在庫を、個人的なルートを使って売りさばいてやると。



叔父はその話に飛びついたが、しかし、それは条件付きの話だったのだ。



「お前の嫁を俺の愛人にする。」



その課長はやり手の敏腕商社マンでしたが、肥満した醜い男で、妻にも出ていかれ独身状態だった。



「結婚式の時から目をつけていた。心配するな避妊はしてやる。」



追い詰めらていた叔父は、その無体な要求を呑んでしまったのだ。



その話を叔母に告げると、当然叔母は泣いたそうだ。



しかし乳飲み子を抱え、旦那に失業されるのも困る。



結局は叔母もその条件を受けざるえなかった。



叔母とその課長の愛人関係は、当時の叔父の自宅、2DKのマンションで行われていたそうだ。



「長時間、小さな子どもと離れるのも困るだろうから配慮してやる。」



叔父に課長はそう言ったそうだが、生粋のサディストであった課長は、旦那である叔父の目の前で人妻を寝取ることに執着したのだろうと思われる。



「早速味見させてもらう。お前はしっかり子どもを見ていろ。」



翌週の日曜日、昼の1時ごろ、叔父のマンションを訪れた課長は、部屋に入るなりそう言って、戸惑う叔母の手を取りリビング横の和室に連れ込んだ。



「課長さん、こんな明るいところで。」



「子どもつくっておいて、今更上品ぶるな。」



叔父は、生まれたばかりの長男をあやしながら、ふすま1枚向こうで、上司に妻が手籠めにされるのを聞かされていたそうだ。



「言うことを聞きますから、乱暴はやめてください。」



「うるさい、新しいものを買ってやるから気にするな。」



その日、叔母は白いブラウスに紺色のスカートをはいていたそうだ。



フスマの向こうからは、叔母のブラウスのボタンがはじけ飛び、スカートが引き裂かれる音がしたそうだ。



「課長さん、そんないきなり、痛いです。ああ、裂けちゃう。」



「あいつよりデカいからな。すぐ良くなる。」



目で見ずとも、自分の妻に挿入された瞬間さえ手に取るように分かり、叔父は悔し涙が止まらなかったそうだ。



「ああ、ひっ避妊してください。アン、アア。お願いします。」



「次からは、ちゃんと薬を飲んでおけ。今日は口でだしてやる。



ただしちゃんと飲めよ。」



「そんなこと、したことありませ、ウグゥ、ウウウウ。」



しばらくの沈黙の後、フスマが開き叔母が出てきた。



叔母は上半身は裸で、下半身もパンストは引き裂かれ、パンティが左の膝あたりで丸まっていた。



叔母は、泣きながら叔父を一瞥した後、何も言わず足早に風呂場に消え、次に現れた時には身なりを整えていたそうだ。



「やはり、お前にはもったいない良い女だ。」



和室では、半裸の課長がタバコを吹かしている。



叔父にとってそれは生涯最悪の瞬間だったそうだ。



その日から、月に2回、週末になると課長は叔父宅を訪れた。



課長は叔母に避妊薬を飲ませ、容赦なく叔母の中に射精したそうだ。



課長は情事の後、叔父と叔母と従妹の4人で食卓を囲んだ。

そこでも、叔母をまるで自分の妻であるかのように扱い、自分の隣に座らせて、叔父の目の前で、叔母の胸元に手を入れたり、スカートをまくり太ももをなで回したりしたそうだ。



そんな奇妙な叔母の愛人生活は、約半年後に急に終わりを告げた。



件の課長の全く別の不正が明らかになり、課長の方が会社を追われてしまったのだ。



叔父を悩ました課長は、叔父の前どころか、会社からも姿を消した。



しかし、叔父があれから数十年たった今も、忘れられないのは、人間の悲しい性なのだそうだ。


愛人生活も3か月ほどたち、課長と何度も肌を合わせるうち、叔母の態度が変わって行ったという。



最初は泣いていた叔母が、課長のマラに貫かれ、フスマの向こうで甘い嬌声をあげるようになった。



そして、叔父さえそういう環境に慣れていったそうだ。



課長の来訪は叔父夫婦にとって単なる日常となっていったそうだ。



それとは反対に、課長は叔母の若い肉体に溺れ、のめり込んでいったそうだ。



叔父は妻を抱きたければ言うことを聞いてくださいという態度になり、課長は叔父の言うままに、叔父を優遇するとともに、叔母には高価なプレゼントを持ってくるようになったそうだ。



課長の不正の理由が、叔父夫婦への貢物のためだったかどうかは、叔父にもわからないそうだが。

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